古今発表集抄

 21世紀の現代におきましても儒教というものの教えは、故事成語という形を取って私たちの生活の中になじんでいるものです。こと日本におきましては『論語』などが有名でございましょうか。この頁ではその一説『子曰 学而不思則罔 思而不学則殆』を最初に引用いたしたく思います。

 研究にはその成熟度に応じた様々な段階というものがございます。一般的に想起される様な机に向かっている姿はあくまでも氷山の一角。共同研究者との議論や学会での情報収集もまた研究の一環かと存じます。

 そしてその中でも、自らの研究をより一層磨き上げるための重要な機会が所謂プレゼンテーションでございます。これまでの研究成果を広く周知し違った切り口から多くのアドバイスを直接貰う。そのためにはまず伝えること。打てば響くような発表をすることが肝要です。

 ここでは私たちがどのような意図をもって発表を行ったのか二つの例を挙げてみたいと思います。専門家向けの発表と他方はより広い層への発表。違いをご覧になることも一興でありましょう。勿論まだまだ拙くはございましょうが、皆様の一助となりましたら幸便に存じます。



伍. 原子核三者若手夏の学校 pdf


 ここまで研究そして国際会議と読んでこられた読者諸兄は薄々感づいておられることと思うが、殆どといって良いほどに物理の話をしていない。ここは素粒子理論の研究室のホームページである。我々の後輩の作った頁の何と真面目なことだろうか。それに引き換えこの莫迦さ加減たるや、呆れてものも言えない。
 やれ理研の歴史がどうだの太平洋地方におけるロシアの位置付けがどうだのと枝葉末節を愚痴愚痴と書き散らし、本題の物理に関しては「楽しかった」程度でありほとほと文章の体をなしていないという始末である。なんとも嘆かわしいことこの上なく、いつ何時愛想を尽かされるやも知れぬという言う知れぬ不安ばかりが去来する。書いている本人がこの有様なのだから読者諸兄に至っては如何ばかりであろうや。

だが待ってほしい。そんな諸兄に朗報がある。

 この頁ではなんと物理の話をする。いや、そもそもが研究室の頁であるのだから斯様な前置きをせずとも物理の話をすべきなのである。むしろ前置きをしなければ本題に入れないような作りになっているこの枠組そのものが危ういとさえ言える。これではまるで、博士課程の学生が研究会などと称して旅先の各地で遊び歩く集団であるかの様に受け取られかねない。私以外の全ての学生の名誉のために断っておくが、我々がしてきた話はあくまで余暇的なもの。我々の本質は学徒であり研究こそを本分としている。
 またも話が脱線していたようだ。"物理の話をする"と宣言したその舌の根も乾かぬうちにこの様である。どうやら、私は延々と微に入り細を穿つような嫌いがあるのやも知れぬ。もはや悪癖といっても良い。
 まぁ、それはともかくとして

――この頁では物理の話をする。

 本題に入ろう。
 そう。研究発表の話である。ここでは私が発表した資料を解説するという形で、発表のコツのようなものをお伝えしたい。"コツ教えます"などという文言は得てして詐欺まがいの言い様ではあるわけだが、そこは誇大広告という事で何卒ご理解をいただきたい。

 もちろん細かいテクニックはないではないが、それは追々紹介していこう。やはり重要なことは"聴衆を見よ"ということに尽きるのではないだろうか。商用の言葉で言えば『マーケティング』、孫子を引用するなら『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』といったところであろうか。なお孫子が言うところの己を知るという事に関しては安心して良い。最先端の研究というものは己を知らなければ到達しえない領域だ。

 早速ではあるが具体例に移ってみようと思う。
 上のリンクからダウンロードできる pdf は私が『原子核三者若手夏の学校 2018』において発表を行った際のスライドである。まことに僭越ながら優秀賞なる賞もいただいたので、質に関して不安に感じている諸兄もどうか気を休めてほしい。

 原子核三者若手夏の学校とは素粒子、原子核、高エネルギーという3つの分野を横断した大規模な滞在型研究会である。全国から多くの院生が集うため、大学院に入学したての学生は交流を広げるための良い機会になることだろう。そして、最大の特徴は"学生が運営している"という点である。
 またもや能書きが始まってしまったわけだが、奇跡なるかな実は本筋なのである。
 聴衆とは参加者、すなわちこの研究会そのものを指しているわけだ。重要なことは「この研究会は修士課程1,2年生を対象にしたものである」ということだ。この様な場では最新の知識を前提としたような発表は行ってはいけない。私の発表では基礎的な話を8割ほど行い、本筋は2割という兼ね合いにした。素粒子理論の研究では往々にして、修士の1年次は座学に当てられることが多い。その分だけ発表者と聴衆の間には知識の隔たりがあるということを忘れてはいけない。
 物理学会や国際会議では勝手が違ってくる。聴衆は海千山千の御歴々。釈迦に説法など以ての外である。必然、基礎的な話はそこそこに切り上げ本題に切り込んで行く場合が多いが、具体例は次の項目に別記しよう。

 スライド作りでは手拍子でパワーポイントを立ち上げるのは好ましくない。まずはじっくり腰を据えて構想を練るのだ。今回のスライドのタイトルは『 Gradient Flow を用いた相関関数の計算 』というものである。このテーマのすべてを10分という短い発表時間で伝えることは、少なくとも私の手腕では不可能だ。そこで以下の2通りの戦略を立てた。

 1. Gradient Flow という手法に焦点を当てる
 2. 相関関数の計算の意義に焦点を当てる

 研究発表では一般的に、手法と結果の説明を行う必要がある。今の場合は時間と知識的背景の兼ね合いから、どちらか一方しか話す時間がないと判断した訳だ。我々は発表を行う際、研究内容のその全てを説明しがちである。だが、このような"片手落ち"も場合によっては有効であることを付記しておきたい。

 今回採用した戦略は前者である。この辺は好みではあるが発表のインパクトを狙ったという腹積もりも勿論あった。何を伝えたいか考えて適宜決めるのが良いだろう。
 この Gradient Flow というものは近年提案された"繰り込み"の一種である。繰り返しになるが、ここで慌てて Gradient Flow の定義を1ページ目からぶってはいけない。まずは基礎、繰り込みとは何であるかから始める。またタイトルスライドでキーワードをあげることにより"道しるべ"を与えてみた。実際の発表の際は「皆さんに覚えて帰って欲しいキーワードが3つあります」などと言って刷り込んでおく。

 修士1年の夏というと、ちょうど繰り込みを勉強しているかあるいは終えたあたりであろうか。身近なところから話を始めれば、それなりに引きは良いものである。私のスライドでは最初に場の理論ではない、より一般的な繰り込みの概念の説明から話を始めている。場の理論における繰り込みはやや特殊な概念であり、私もそこで悩んだ記憶があるからだ。
 この場の理論における繰り込みの特殊性を説明してはじめて、繰り込みにはスキームつまり種類が存在していることが説明できるのである。ここにきて漸く本題の Gradient Flow が登場するが、スライドでは厳密な定義を書きたいところを堪え素朴な説明に終始している。
 口頭発表は限られた時間内で聴衆に情報を伝える必要がある。したがって、基本的にはポジティブリスト形式をとると良いように思う。不必要なものを削っていくのではなく必要なものだけをリストアップしていくのである。Gradient Flow の定義についても、今回の発表では具体形を用いないのでリストアップする必要はない。という論法だ。

 これらの発表手法がどこまで妥当であるかは判らないが、一応の狙いは書いておこう。
 研究者といえどもよほどの天才でない限り一度の発表を聞いただけではその研究について理解できないものである。一度聞いて耳に残り、二度聞いて少しだけ理解する。その後、論文をあたって手で追い漸く麓に至る。少なくとも私のレベルでは幾つかの段階が必要である。
 スライドではこれを逆手に取っている。聴衆はそのほとんどが Gradient Flow という単語を聞くことすらはじめてであるはずだ。ならば、聴衆の耳に Gradient Flow という言葉を残すことができれば良い。逆に言うならば、そのくらいの理解度を目指してスライドを組み立てることを肝とすれば良いのだ。

 以上が夏の学校のスライド作りの骨子である。より細かなことと発表時の注意点などは箇条書きで羅列しておくが、これらは私が学部時代に田崎晴明さんから叩き込まれたものをベースとしている。興味がある方は田崎さんのホームページも合わせてご覧いただきたい。

・まとめの頁は、聴衆がそれを見て質問できるように内容を包括して書く
・重要な結論やキーワードは文字でスライドに書き込む
・スライドはあくまで資料であり、主役は発表者である
・口の中でボソボソ喋る練習や"イメトレ"は、練習になっていない
・練習はストップウォッチなどで計時し、本番では練習と同じ計器を使う
・練習を多くの人に見てもらい、アドバイスを貰ってとにかく磨く
・会場に早めに入り、コネクタ、マイク、ポインタ等のチェックをする
・質疑応答では、可能な限り理由の前に答えを明確に述べる
・質疑応答は質問者とのコミュニケーションなので正対して話す
・自信を持って発表しよう!

 今回はスライド作りという観点で書いているが、それはあくまでも準備の第一段階にすぎない。スライド"を"説明するのではなく、スライド"で"説明することを心がけよう。その為にはやはり練習あるのみだが、練習に関して文字で伝えられることは残念ながら少ない。だが良い発表を目指しそれに向かって努力と経験とを積み上げることは、必ずや読者諸兄の血肉になるということをこの文の最後に強調しておきたい。

[ 参考リンク ]
 田崎晴明ホームページ
 発表スライドについての基本的なルール
 大輪講での発表について
 OHP の書き方について

陸. 準備中 pdf




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