国際会議道中記

 "異国"とは島国たる本邦におきましては殊更に意味をもつ言葉でございます。すなわち、海外。海を越えたその先こそが我々にとっての"異国"であり、其処に赴くことは皆様に取りましても格別の経験になることと存じます。

 本研究室の学生には、有り難いことに発表の機会が多く与えられます。国内の学会や研究会はもちろん国際会議へ出席することも広く推奨されております。

 Lattice分野の学生もString分野の学生も年に一度は海を越える機会がございます。多くの学生が参加する国際会議を例として紹介いたしましょう。Lattice分野では"The ○○th Annual International Symposium on Lattice Field Theory"通称"Lattice会議"と呼ばれる国際会議が、String分野では"Strings 20○○"という国際会議が有名です。

 この他にも国際会議は真に多くございますが、ここではむしろ国際会議へと赴く学生のその心境をこそお伝えしたいと存じます。『伝うることもまた研究。されど異国の旅は心許なし。』そんな私たちの悲喜交々を表わします物語をご覧ください。 



参. Nearest 欧州探訪譚


 ウラジオストクは日本からもっとも近い欧州として有名なロシア極東の都市である。近年この町には日露両政府からの資金援助の下経済特区が設置されるなど、目まぐるしい発展を遂げている。そんなウラジオストクに2010年に組織されたのが『極東連邦大学(FEFU)』である。

 このFEFUで行われるモンテカルロシミュレーションに関する研究会『Monte Carlo methods in computer simulations of complex systems 2016』に参加するため、11月の寒空の下私はウラジオストク国際空港に降り立った。といってロシアという言葉からイメージされるほどの寒さはない。緯度は北海道とほぼ同じ。風は強いが豪雪という言葉は当たらない季節である。

 ところで、ここに来るまでの道のりは平易なものではなかった。
 2016年といえば日露首脳会談が行われた年だ。そしてこの会談は何を隠そうここウラジオストクがFEFUにおいて行われたのである。開催されたのは9月2日、研究会のわずか2ヶ月前という忙しなさであった。
 日本人がロシアに入国するためにはvisaが必要だ。ところが会談の余波を受けてしまったために事務は右へ左への大わらわであり、visaを受け取ったのは出発のわずか3日前という有様であった。
 どんなにか良い研究をしたところで現地に辿り着かねば、それは水の泡である。下調べは重要だ。例として意外な国を上げるならば、アメリカへの渡航には簡略化されたvisaであるESTAというシステムへの登録が必要である。もちろん滞在日数や渡航目的によっても要否が変わるので注意が必要だ。

 さて、空港からウラジオストクの市内までは車で約40分。FEFUにはさらに30分ほどの道のりを進むことになる。
 ルースキー島連絡橋という斜張橋をご存知だろうか。この橋は全長1104メートルという斜長橋としては世界最長の長さを誇る橋であり、主塔は324メートルにもおよんでいる。話のついでにルースキー島についても触れておこう。
 ルースキー島は2012年のAPECの開催地である。会場として島部を用いることは防衛的な意味で有益である。しかし実は真の狙いが他にあったといわれている。ロシアが欧州において存在感を増すなかで、この極東地方でのAPECを通じて"太平洋国家"としてのロシアを印象付けようとしたのであろう事は想像に難くない。FEFUのルースキーキャンパスは、このとき使われた建物をベースとして建造されている。

 キャンパスに到着すると海風の強さに驚かされた。流石は島部といった風情で、積もった雪が風に舞うだけであたかも吹雪に見まわれた様な心地である。宿泊地はキャンパス内のホテルだが来歴にも納得の快適さである。

 ロシアの著名な理論物理学者といえば Lev Davidovich Landau その人である。私が紹介するのはおこがましい限りではあるが、Landauは20世紀の、場の理論、低温物性、流体力学といった分野の発展を牽引してきた物理学者の一人だ。
 Landau が作った理論物理学者への登竜門『理論ミニマム(Theoretical Minimum)』は、弟子の Evgeny Mikhailovich Lifshitz らの手により『理論物理学教程(Course of Theoretical Physics)』として編纂され教科書として世界各地で用いられている。この教程は理論物理学への手引きとして白眉であることは勿論だが、「簡単な計算により(It is easy to see ・・・)」という有名な一説を以って多くの学生を慄かせた。

 ロシアの大学で行われる研究会には Landau の影響が強く残っている。Landau は研究会の参加者全員の理解を重視したそうで、発表の日程等にもある程度の幅が設けられている。
 私が今回参加した『 Monte Carlo ―. 』においては、研究会のスケジュールを進行に合わせて当日に決めるという独特の慣習があり大層驚かされた。また、30分という比較的長い発表時間を与えられたうえ質疑応答では必要に応じて黒板が用意されるなど、むしろ大人数でのゼミといった趣が感じられたものである。昼食に参加者の全員で行くというのも、いい意味で砕けた雰囲気の醸造に一役買っていたのやも知れない。

 研究会の中日には一般に excursion が設定されていることが多い。直訳は"遠足"であるが、むしろ現地見学といった風情である。Lattice conference のような大きい会議では運営サイドで企画されたツアーになることもあるが、そのようなケースはどちらかといえば稀だ。午後いっぱいの自由時間をもらい銘々の観光に行くという選択が所謂お約束である。

 私はウラジオストク市内の観光を決め込み、共同研究者のOさんと共に街中へと繰り出すことにした。ガイドブックを持参しているあたりは流石と言うほかない。
 街中を散策する我々は、ウラジオストク市街の街並みのその建築物の多様性に驚かされた。特にゴシック調の瀟洒な建築物とバロック調の簡素な建築物が建ち並ぶ様は、アンバランスさとさえも調和しているような風情が感じられる。

 このような多種の文化の混交はウラジオストクの歴史を反映しているといってよい。
 ウラジオストクは、1860年の北京条約の締結により、清に領有権を認めさせるという形でロシア帝国が建設を開始した港街である。ロシア海軍は早くからこの地帯に目をつけており、ロシア国立海軍文書館にも調査報告書が所蔵されている。ロシア帝国としては念願の不凍港を太平洋側に建設できたことになり、多くの資金や人手が流入したというわけだ。征服するという意味のvladiと東という意味のvostokを組み合わせたこの街の名称は、正にこの歴史的事実を反映してのものだ。

 さて、そんなウラジオストクには一躍人目を引く建築物がある。シベリア鉄道が最東端、ウラジオストク駅である。
 シベリア鉄道はモスクワとウラジオストクを結ぶ鉄道で、その全長は9,289kmにも及び7日間という長い旅程を必要とする。シベリア鉄道の着工は1891年。ニコライ皇太子の肝煎りで始まったこの事業は、以降のロシアの政治・経済・軍事あらゆる面での屋台骨へと成長していく。古典ロシア様式で建設されたウラジオストク駅の威容は、シベリア鉄道の重要性の証とも言えるだろう。

 Oさんが未成年と間違われた為にウォッカが買えないという珍事に見舞われたものの、我々の市内観光は順調に進んでいた。
 帰路の途中、中央広場付近で見慣れない彫像を見つける。名前や年代等の記述は見受けられない。近隣にはレーニン像やセルゲイ・ラゾの像があることから、ロシア革命に関連したものであるということしか残念ながら分からなかった。

 翌日昼食のテーブルを囲みながら、地図を提供してもらった教授にお礼方々、像の話を聞いてみた。やはりロシア革命の戦士像であるようだ。
 ここで言うロシア革命とは、1917年に起こった「二月革命」と「十月革命」から1922年のソヴィエト社会主義連邦共和国の成立までを指している。この革命は労働者たちによる史上初の社会主義革命であり、正に歴史の転換点であるといえる。先の像に名前の記述がなかったことは、労働者たちの代表という側面が強いのだという。
 また、ロシア革命において日本とウラジオストクはやはり密接な関係を持っている。所謂シベリア出兵である。日英米の干渉軍が進駐した先が、ここウラジオストクだったのだ。その後、進駐軍が撤退し第二次大戦を経て冷戦期に突入するとこの港街は閉鎖都市になってしまうが、1991年のソ連崩壊と共に再び国際都市としての歩みを再開したのである。

 以上が、私がこの旅で学んだ"物理以外の"全てである。国際会議に行くということは、その国の文化や歴史に触れることを当然含んでいる。今回は特に日本から最近のロシアということもあり、我々との関わりも多く知ることになった。日本人街の形成、シベリア出兵、APECや首脳会談。これまで知らなかった数多くの歴史を、この旅で学べたような気がする。

 最後にFEFUの構内にあった日本との接点を紹介して、この文章を終えようと思う。大学構内には"ある人物"の歌碑があるのだ。"彼女"は明治45年(1912年)5月、ここウラジオストクを訪れている。どうやら夫を追いパリへと向かう道中だったようだ。歌集『みだれ髪』で有名な人物といえば、皆様はもうお分かりだろう。

旅に立つ

いざ、天の日は我がために
金の車をきしらせよ、
颶風の羽は東より
いざ、こころよく我を追へ。

黄泉の底まで、なきながら、
頼む男を尋ねたる、
その昔にもえや劣る。
女の恋のせつなさよ。

晶子や物に狂ふらん、
燃ゆる我が火を抱きながら、
天がけりゆく、西へ行く、
巴里の君へ逢ひに行く。

与謝野晶子



肆. 海外渡航備忘録


 1973年の変動相場制への移行と日本経済の大きな発展により、海外旅行は広く人々の手に届く娯楽になりつつある。例えば2018年の日本人出国者を見てみると1900万人にも及んでいるのである。
 そのような現状はあるものの、国際会議への出席がすなわち初めての海外渡航になるという学生もまだ少なからぬことだろう。私もまたそのような学生であった。
 ここでは、そんな私の少々の体験から得た海外渡航に関する備忘録を書いてみたいと思う。

◯忘れたら死ぬもの
・パスポート
 流石にこれを忘れると洒落にならない。海外に行くことが初めてで、まだパスポートを持っていない人はできるだけ早めに作っておこう。
 博士前期課程(修士課程)では海外出張の機会は少ないが、博士後期課程(博士課程)においては必至である。例えば格子分野に進んだ人は、修論の内容を博士後期課程1年時の夏くらいに発表することが多い。修論を書き終わったあたりのタイミングでパスポートを用意しておくと良いだろう。
 発行までの流れを記しておくが、念のため各市区町村のホームページで確認することを推奨する。
 申請には「住民票の写し、戸籍謄本、パスポート用の写真、申請書、本人確認書類」が必要となる。まずは市役所に行こう。パスポートの発行の手続きは、住民票がある県のパスポートセンターで行う。「〇〇市 パスポートセンター」で調べればOKだ。発行までは基本的に6営業日ほど。あとは申請したときに貰った引換証とお金、印鑑を持って受け取りに行けば良い。代理申請も可能だが、受け取りには本人が行く必要がある。

・ビザ
 国によっては入国の際にビザを求められることがある。ビザ無しで出国しようとすると、出国審査のゲートで止められて国際会議に行けなくなるので注意しよう。ビザの取得には時間がかかることが多い。国際会議への参加が決まったら、まずはビザの要否を調べよう。
 日本のパスポートはビザの要件が非常に軽いという話を耳にしたことはないだろうか。1週間程度の旅程ならば約190の国と地域にビザなし渡航が可能であり、これは世界最多だそうである。
 ビザ取得の手順は国によって違うので下調べが必要だ。基本的には大使館のホームページに記載があるので、各自でチェックして欲しい。参考になるか分からないが、私の経験から米露の例を書いておく。

― アメリカの場合 ―
 アメリカに渡航する場合はビザが必要だ。ただし90日以内の渡航である場合は、ESTAと呼ばれるオンライン渡航認証システムへの登録が必要になる。ビザほどの時間はかからないが、発行までには多少のタイムラグがあるので留意されたい。72時間前以上の申請が推奨されている。詳しい手順は領事館のホームページを参照してほしい。
 また、BNLに行く場合には特別な注意点がある。それはESTA申請での渡航目的をビジネスにしなくてはならないということだ。最悪の場合、BNLまで辿り着いたのに門前払いになってしまう。

― ロシアの場合 ―
 ロシアに行く場合はガチなビザが必要である。まずはオーガナイザーに Invitation letter の発行を依頼する。発行された書類は郵便で送られてくるため、まずここに時間を取られることが多い。まずは研究会のホームページでビザの項目がないかチェックすること。
 Invitation letter が到着すると初めてビザの申請が可能になる。ロシアの場合、電子申請を行った後に必要書類を揃えて大使館に行く必要がある。ロシアの祝日はやっていなかったり午前中しか受け付けていなかったりと、中々に不親切なので時間は十分に取っておこう。また、ビザの発行には最短で3営業日を必要とするが、この場合は特別料金を支払わねばならない。安く済ませようと思うと2週間位かかる。
 最後に、大使館への問い合わせについて注意しておく。電話での問い合わせは日本語が通じないため難易度が高い。英語が苦手な人は事前に内容をメモしておこう。

・eチケット
 航空機の搭乗手続きに必要になる。意外と忘れがちなので注意。スマホがある人はメール画面がそれにあたる。無い人は紙に印刷して持っていこう。
 細かい注意点として、航空券の半券を捨ててしまわないようにすることも上げられる。帰国後、版権を事務に提出することが必要だからだ。事務書類関連として、大学への海外渡航届けの提出もお忘れなく。

・変換プラグ
 コンセントの規格は国によって違うため、変換プラグを忘れるとパソコンが充電できなくなってしまう。A・B・C・B3・BF・SE・Oなどの規格があり、日本のコンセントはAタイプだ。電気屋や旅行グッズを扱っている店ならば置いてあるので、訪問先の国に合わせたプラグを買っていけば良い。また、少々値は張るが上記の型の全てに対応するマルチプラグも販売されている。

・パソコン
 発表、頑張ってください。

◯忘れないほうが良いもの
・現地の気候に合わせた服
 発表当日に風邪でも引いたらたまらない。事前に現地の気候を調べ、それに合わせた服を持っていく。

・外貨
 海外での生活に必要な分を両替していこう。空港での両替は基本的に割高なのでおすすめしない。最寄りの銀行の利用がベター。

・クレジットカード
 現金を大量に持ち歩くことは防犯上好ましくない。クレジットカードを作っておくと何かと便利である。

◯あると便利なもの
・ポケットWi-fi
 スライドやデータのやり取りなどでインターネット環境を使うことは、現地に到着したあとでも決して少なくない。空港で借りられるものはやや値は張るものの持っていく価値は十分ある。
 研究会の会場では多くの参加者がLANにぶら下がるため性能が出ない。また、ホテル等に常設されているWi-fiも強度が出ないものが多い。

・小さめのバック
 財布などの貴重品を入れておくためのバック。ただし、背負うタイプのものはスリに遭いやすいので避けよう。海外旅行はスリの危険と常に隣り合わせである。特に日本人は被害に会いやすいので気をつけるべし。体の前面にかけるタイプで咄嗟にガードできるようなバッグが好ましい。

・衛生用品
 ひげ剃りや歯ブラシなど。ホテルに泊まる際はアメニティが置かれている場合が多いが、自分にあったものを持っていったほうが良い。とんでもなく柔らかい歯ブラシが置いてあったりする。また、大学のドミトリー(宿舎)にはアメニティがないので注意。
 また、ヨーロッパなどへの移動は20時間を超えるため、歯ブラシを手荷物に入れておくと役に立つ。

・折り畳み傘
 海外には日本ほどコンビニがあるわけではない。ビニール傘は当てにできないので、折り畳み傘を持っていくと吉。

・手帳
 研究会のメモとしてはもちろんのこと、補助的に筆談にも使える。

・観光ガイド
 楽しんできてください。

◯おまけ
・国際会議の経費節約について
 国際会議の中でも Lattice 会議や Quark Matter などの大型の会議への参加には、参加費等で多大な費用が必要になってしまう。例えば、Lattice 会議の参加費は5万円くらいが例年の相場である。何しろ研究会が大規模なのである。そのためホテル等の専用の開催施設が必要になり、結果として斯様な高い参加費が必要になっているのだ。
ここからさらに旅費と宿泊費が我々にのしかかってくる。Lattice 会議は1週間ほど開催されるので、宿泊費として5万円くらいは覚悟するべきだろう。かてて加えて開催地がヨーロッパであったならば、旅費は10万円はくだらないところである。一度の国際会議で正味20万円ほどの費用がかかるわけだ。先生方の科研費で賄っていただけるとはいえ、差し当たってはこれだけの費用を立て替えることは学生にとって大きな負担であろう。そこで、これらの費用を多少なりとも減らせる方法をいくつか紹介したいと思う。

― 研究会の学生補助を使う ―
 多くの研究会では若手研究員と学生とを対象にした割引制度が設けられている。参加費が無料になったり宿が破格の値段で使えるようになったりと、金銭面で非常に助かるのでぜひ利用しよう。以下では Lattice 会議の場合を想定して、典型的なタイムスケジュールを紹介する。
 2月くらいになると Lattice 会議のHPが公開されるはずなので、参加が確定している学生はチェックしよう。ここで重要なのは Important dates (なければそれに類する項目)である。ここに様々な申込みの期限が書かれている。学生支援は Financial Support という項目だ。注意点は「正規の申込みに比べて期限が大幅に短く設定されている」ことだ。申込みに必要な書類はその年によって違う。研究内容の紹介だけで良い場合もあれば、指導教員の推薦状が必要な場合もある。いずれにしても早めから動いて準備を整えておこう。

― 大学の支援を受ける ―
 筑波大学では海外留学等の事業に注力しており、海外へ赴く学生へ奨学金が支給される。国際会議への参加の場合、「筑波大学海外留学支援事業(はばたけ!筑大生)」という制度が便利だ。年に2回の募集があり、審査に通れば最大で8万円ほどの奨学金が支給される。ただし、募集時期の関係で Lattice 会議とは少し相性が悪いかもしれない。

― パック旅行を使う ―
 これは裏技的なものだが、航空券とホテルがセットになった旅行券を買うという手もある。研究会で斡旋してくれるホテルは基本的に高級な場所が多く自分で探したほうが安上がりだ。さらに観光が盛んな場所であるのならパック旅行が組まれている場合がある。探してみる価値はあるだろう。

・乗り継ぎについて
 はじめて海外に行く場合、飛行機の乗り継ぎに不安を感じる人も多いのではないだろうか。乗り継ぎには2種類のものがあるので、それぞれについて説明しよう。

― 国際線 → 国際線 ―
 1つ目は国際線から国際線への乗り継ぎ。これは超長距離の移動、例えばヨーロッパまでのフライトに多い。しかし、このような乗り継ぎでは「中継国への入国手続が必要ない」ため実は簡単なのである。むしろ待ち時間が退屈な場合もあるので、暇つぶしの道具を持っていったり歯を磨いたりすると良い。空港によっては簡単な入国申請によって空港外へ出られる場合もある。

― 国際線 → 国内線 ―
 国際線から国内線への乗り継ぎは少し大変である。というのもこのような乗り継ぎでは「入国審査が必要」であるからだ。したがって、預け入れ荷物も一旦返却されることになる。さらに大変なことに、国際線のターミナルと国内線のターミナルは距離が離れていることが多いのだ。
私が武漢に行ったときは北京空港で乗り継ぎをした。北京空港は非常に広い空港であり構内に移動用の電車が走っているのである。その上、利用客が多いので混雑も酷い。入国審査 → ターミナルの移動 → 搭乗手続き で1時間強の時間がかかった。離着陸が遅れる可能性も踏まえて十分な時間を確保しておこう。どうしても遅れそうな場合は、空港の職員さんにその旨を伝えると列を割り込ませてくれる。使わないに越したことはないが、緊急用の裏技として書いておく。
 まとめると「出国は楽で入国時には注意が必要」ということだ。羽田 → 北京 → 武漢 ならば北京で入国だから預け入れ荷物が返ってくる。入国審査も含めて時間が必要。武漢 → 北京 → 羽田 ならば北京で預け入れ荷物は返ってこず、羽田で受け取る。この場合は出国だけなので楽。

・ポスターの機内持ち込みについて
 ポスター発表をする場合は大きな筒を持って行く必要がある。ところがこれが厄介で手荷物の規定サイズをオーバーしているのである。挙げ句の果てに、この筒は細いためか航空会社の人になくされやすい。はたから見ればただの筒であろうが、こちらはそれがないと死んでしまうのである。実際、私は一度筒を紛失し窓口に掛け合って探してもらった経験がある。そのときは幸いにも発見され事なきを得たものの、多くの場合は見つからないそうである。
 そこで個人的にはサイズオーバーだろうがなんだろうが、筒を機内に持って行ってしまうことを勧める。荷物を預ける際に説明すれば大抵は了解してくれるはずだ。最終手段としては英語がよくわからないふりをして強行突破すれば良い。

・タクシーについて
 最後にタクシーについての注意をしておく。空港から目的地への移動はやはりタクシーが便利である。ただし「ぼったくられなければ」の話だ。 タクシーのぼったくりでは、やはりニューヨークが有名であろう。映画でよくみるような黄色いタクシー、いわゆる Yellow Cab というタクシーは州公認のものであり安心して乗って良い。他にも黒いタクシーも回っており、これでは値段を交渉しなければならない。話術に自身があれば良いかもしれない。そして悪名高いタクシーは白いタクシーである。白タクは主に観光客を狙い、相場の数倍の値段を後からふっかけるという非常に悪質なタクシーなのである。BNL に行く際はニューヨークでタクシーを利用する必要があるが、個人的にはリムジンタクシーの予約を勧める。
 中国のタクシー事情についても少し書いておこう。私が武漢に行ったときのことである。空港でタクシーに乗ろうとしたら、助手席には何故か先客がいた。意味がわからなかったので降りようとすると、大丈夫だから乗れというので仕方なく乗った。目的地の途中で先客は降りたが、こちらとしては意味不明である。あとで分かったことだが、中国ではタクシーの相乗りという謎の文化があるそうだ。
 ここで当然の疑問として、タクシー代はどうなるのかと思うかもしれない。そこは大丈夫。中国のタクシーはメーターが伏せてあるので、基本的に運転手の言い値が料金だ。メチャクチャである。私のときは武漢天河国際空港から CCNU までで250元ほどふっかけられた。相場は100元くらいなので、これは正にぼったくりであろう。このときは適当にごねて150元まで下げられたので身の危険を感じない程度にやってみると良いかもしれない。余談ではあるが、武漢天河国際空港 〜 CCNU で最もぼったくられた人は、毒舌で有名な某Eさんで280元だったらしい。

◯最後に
 お土産をお忘れなく。



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